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河西四郡
武威(ウーウェイ)
蘭州の北西240kmの町で、唐代には「涼州」と呼ばれました。
市の北部には、明代創建の雷神廟「雷台」の地下から1969年に発見された後漢代の将軍の墓陵「雷台漢墓(ライタイ・ハンムー)」があり、青銅の馬像「馬踏飛燕」(蘭州の甘粛省博物館に展示)が出土したことで有名です。
また市の東南には、明代創建で甘粛省最大の孔子廟「文廟(ウェンミャオ)」があり、併設の「武威市博物館」に西夏王国時代の貴重な西夏文字の石碑が展示されています。
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張掖(チャンイェ)
武威の北西230km、唐代には「甘州」と呼ばれたオアシスの町で、良質の米や麦などを産する農業地帯でもあります。
河西四郡の中心地となった所で、隋の皇帝・煬帝やマルコポーロも訪れています。
市内の見所として、西夏時代の1098年創建で体長35mの涅槃大仏を安置する「大仏寺(ダーフォースー)」、隋代の582年創建の万寿寺境内の塔として建てられた高さ33mの「万寿寺木塔(ワンショウスー・ムーター)」などがあります。
酒泉(ジウチュアン)
張掖の西北西210km、唐代には「粛州」と呼ばれた町です。
西へは嘉峪関、北へはモンゴル高原へ向かう分岐点で、古くから交通の要衝でした。
唐の詩人・王翰の「涼州詞」に出てくる玉石製のワイングラス「夜光杯」が名物で、米ロに次いで有人宇宙船を打ち上げたロケット発射基地もあります。
旧市街の中心には、前涼代の346年創建で1905年に再建された高さ27mで3層の「鐘鼓楼(チョングーロウ)」があります。
また東郊には、前漢の将軍・霍去病が匈奴に勝利し、武帝から賜った酒を注ぐと水が酒に変わったという泉がある「酒泉公園(ジウチャン・ゴンユアン)」があります。