莫 高 窟 現地 ツアー
カシュガルはタクラマカン砂漠の西端です。パミール高原の北麓。新彊ウイグル自治区の西南部に位置します。タリム盆地の北縁に沿って続く天山南路の西端でもあり、タリム盆地の南縁の西域南路の西端でもあります。両道はここで合流し、パミールを越えてインドへ、あるいは、西北に路をとりタシケント.サマルカンドへと続きます。カシュガルとは、古代イラン語やペルシャ語で「玉の市場」を意味します。玉はクンルン山脈で産するホータンの玉のことです。ウイグル語では「色とりどりの煉瓦で出来た家」の意味があります。
前漢の時代に初めて歴史に登場し、疏勒と呼ばれ、西域三十六国の一つです。その後、匈奴の支配下に入るが、後漢の時代、一時的にではあるが班超の活躍により西域都護府が置かれています。9世紀以降にはモンゴルより大量のウイグル人が押し寄せてくることになるが、その後のカシュガルの姿を決定的にしたのは、十世紀にカシュガルを拠点にしたカラ=ハーン朝の成立で、ウイグルとイスラムの色彩を帯びるようになりました。カシュガルと呼ばれるようになったのもこの頃からであると言われています。
その後、チャガタイ=ハーンの統治以降は、カシュガル=ハーン、オイラートのジュンガル王国の支配を受け、清朝が支配を確立するのは18世紀、乾隆皇帝のジュンガル派兵にようです。清軍のカシュガル占領は1759年です。19世紀後半から20世紀にかけては、またその重要な地理的な位置ゆえに、ロシア、イギリスの勢力争いの激突の場となります。両国がカシュガルに領事館を置き熾烈な情報戦が展開されました。現在のカシュガルは、人口22万、ウイグル族がその74%を占めています。ウイグル族の他、ウズベク、キルギス、タタール、オロスなど多くの少数民族が暮らしています.
カシュガルの街歩き
昔から多くの文化や民族が行き交ったシルクロードのオアシス都市、カシュガル。新疆ウイグル自治区の西端(中国の西の果て)に位置し、ウイグル族が人口の80%を占めます。街は彫が深く髭を蓄えたウイグル人男性や、カラフルなスカーフを巻いたウイグル人女性が行き交い、時おりモスクからアザーン(礼拝の呼びかけ)が聞こえてきます。 隣国中国に来たというより、どこか遠い国にやってきた、という感覚を持ってしまう魅力があります。
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